特許出願書類の眺め方⑦ ~実施例~

今回は、実施例についての説明です。実施例は、技術分野によってはなじみがない方もいらっしゃるかと思いますが、化学・バイオ分野では非常に重要な欄となります。さらに、発明者の方が最も準備に労力を要するのもこの欄となります。

実施例とはなにか

まず、明細書中の実施例の役割を考えていきましょう。

実施例は、具体的な実験例の欄

実施例は、実験で発明の効果を示す欄になります。明細書では、実施形態の欄にて発明を具体的に記載します。しかしながら、化学やバイオの技術分野、単に具体的に記載しただけでは発明の効果が把握できない場合があります。このため、発明の効果を示すために、実験例を提示する欄としてこの欄が存在します。

実施例は、発明の効果を立証するためにある

しかしながら、なぜ発明の効果を示さなければならないのでしょうか?また、発明の効果をどのように示せばよいのでしょうか。これについては、特許制度(特許法)の中で発明の効果がどのように捉えられるかを考える必要があります。関連する要件は、進歩性(特許法第29条2項)と、サポート要件(特許法第36条6項1号)、実施可能要件(特許法第36条4項1号)です。特許を受けるためにはこれらの要件を満たす必要がありますが、発明の効果は、主にこれらの要件と深く関わっています。

先行技術に対する有利な効果を立証する(進歩性)

まず、特許法29条2項の進歩性の要件を満たすには、当業者が発明を容易に思いつかないことが必要となります。「当業者」については、まったく厳密ではないのですが、ここでは大雑把に競合他社と考えてください。

どのように発明を思いつかなければよいのでしょうか。このままだと漠然としていますが、実務的には、①「構成」が思いつかない、②「効果」が思いつかないの二つの観点から発明を思いつけるか否かを検討しています。
まず、①の「構成」が思いつかないという観点については、ここではあまり重要ではないので簡単にお伝えしますが、請求項に記載した部材や成分を用いることを思いつかないということになります。あるいは、部材や成分の「組み合わせ」を思いつかないということもあり得ます。まあ、ここの本筋とは無関係なので忘れてください。
次に、②の「効果」が思いつかないという点がここでは重要です。すなわち、仮に発明の構成を当業者が思いつく場合であっても効果が当業者の予想を超えたものであれば、進歩性が認められてしまうのです。それでは、どのような効果であれば、進歩性が認められやすくなるのでしょうか。
特許庁の作成した審査基準では、数値限定の欄ではありますが、「同質であるが際だって優れたものである」効果、「異質な」効果が挙げられています。この考え方は、発明の効果を考える際に一定の目安になると思います。

同質であるが際だって優れたものである効果

こちらは、既存の技術が有する効果の延長線上の効果です。例えば、材料Xにおいて引張強度が重要であることが知られていたとします。材料Xにおいて引張強度が10~20の範囲にしかならないといわれていたと際に、材料Xに成分Aを添加すると引張強度が30になったとします。

このように既存の技術が有する効果の延長線上であり、かつそれが予想の範囲を超えた場合には、発明の効果が考慮されます。

異質な効果

こちらは、「思ってもみなかった効果」がでるという場合です。例えば、成分Aは、添加剤で、ある材料Xに添加すると引張強度が向上することが知られていたとします。ところが、材料Xと類似した材料Yに対して成分Aを添加してみると、なんと材料Yの表面の摩擦力が向上したというような場合です。引張強度を向上させる添加剤を添加すると摩擦力の向上という別の効果が発現することは従来から知られていたことではありません。従来から知られている効果とは異なる効果を「異質な効果」と言います。このような効果は、確かに予想外ですね。

どちらの効果が有利か

正直なところ、どちらの種類の効果であっても、予想を超えた場合には、考慮されます。

しかしながら、「同質であるが際だって優れたものである効果」の場合、どの程度であれば、「際立って優れている」のか非常に曖昧です。正直なところ技術分野にもよるところがあります。そして、技術者でもない審査官がその程度を独断で決めることになりますので、正直なところ泥仕合になりやすいのが実情です。

一方で、「異質な効果」の場合、従来技術として知られているか否か(引用文献に記載されているか否か)で判断されるため、当業者の予想を超えることが分かり易いというメリットがあります。正直なところ、特許出願の審査という観点からみると、「異質な効果」の方が進歩性が認められやすいような傾向があります。

比較例を基準にする

本発明の効果が予想外の優れた効果であることを立証するためには、どの程度、どのように優れているのかを示すために基準が必要です。そのための基準となる実験例を比較例と言います。比較例は、①本発明の範囲外にあることが前提であり、②従来技術を代表する実験例である、といった特徴を有しています。

この基準となる比較例がない場合、審査官は、どの程度本発明が優れているのか理解できないため、本発明の効果を認めないこともあります。

発明が請求項に記載の全範囲に渡って効果が発現することを立証する(実施可能要件・サポート要件)

こちらは、実施可能要件、サポート要件に関して非常に大事になります。

薬だったり、樹脂だったりといった化学・バイオ分野の発明では、実際に実験してみないと効果がわからない場合がほとんどです。このような場合に実施例による効果の証明なしで特許を認めてしまうと、構成さえ新しければ適当に効果をでっちあげて特許を取ることが可能となってしまいます。したがいまして、化学・バイオ分野では実施例により効果の証明が求められることがほとんどです。十分に立証できていない場合には、実施可能要件・サポート要件違反として拒絶されます。

ところで、請求項に記載された発明は、一定の範囲を有しています。では、請求項に記載された発明のごくごく一部しか、実施例で効果が証明されていない場合はどうでしょう。

例1
請求項1  成分Aを1~50質量%含む、材料X。
実施例では、「2質量%の成分Aを含む材料X」とその効果のみが開示されている。

例1では、成分Aが少量、例えば、1~5質量%程度であれば、効果がでるかもしれない、と予想ができます。では、成分Aが多量、例えば40~50質量%の際に、本当に同様の効果がでるのでしょうか。そこは、やはり実施例からみても予想がつかないわけです。そうすると、成分Aが多量の場合まで効果が得られるようには開示されていない=成分Aが多量の場合の発明が明細書に実施できるようにまた効果が確認できるように開示されていないとして、拒絶されます。具体的には、成分Aの量の範囲が広すぎるとして、上限を下げるように要求されされます。

例2
請求項1  溶媒を含む、塗料Y。
実施例では、「エタノールを含む塗料Y」とその効果のみが開示されている。

例2の請求項1では、あらゆる溶媒を含みます。エタノールのみならず、水、DMSO、トルエン、アセトン、エーテル、、、あらゆる溶媒のどれかを含めば請求項1に記載の発明となります。一方で、実施例ではエタノールを用いた例しか開示されていません。では、トルエンを用いた場合は?水を用いた場合は?実施例からは効果は予測がつかないわけです。そうすると、あらゆる溶媒で発明の効果が得られるようには開示されていない=エタノールと性質が全く異なるような溶媒を用いた発明が明細書に実施できるようにまた効果が確認できるように開示されていないとして、拒絶されます。具体的には、「溶媒」の範囲が広すぎるとして、溶媒の範囲をエタノールと性質が類似した溶媒に限定するように要求されされます。

簡単に言うと、ちょっとの実験データしか開示してないくせに、あまりにも広い権利範囲請求しすぎてない?ということです。特許請求の範囲の記載は、出願人が自身で決めることができます。この際に、できる限り広い権利範囲としたいのは、出願人にとって当然の願望です。

以上のように、請求項に記載された発明のうち、ごくごく一部しか効果が立証されていない場合、請求項に記載された発明が広すぎるとして拒絶されます。したがいまして、請求項に広い範囲の発明を記載する場合には、複数の実施例を用意して、発明が請求項に記載の全範囲に渡って効果が発現することを立証することが大事です。

実施例が不要な場合もある

実施例が不要な場合もあります。それは、実施例がなくても本発明の効果が理解できる場合です。

例えば、機械の発明の場合、機械の機構を図面で丁寧に説明すれば、どのように機械が動くか理解でき、発明の効果もきっと理解できるでしょう。実際、機械やソフトウェアなどの発明では、実施例が記載されていないものがほとんどです。

実施例の準備

それでは、どのように実施例を準備すればよいでしょうか。以下、いろいろとポイントをお伝えしますが、分からない時は持ってるデータ全てを抱えて弁理士のところにもっていく。これが一番確実です。

発明に含まれる実験例と含まれない実験例を最低一つずつ用意する

まず、前提として発明の効果を証明するために発明に含まれる実験例(実施例)を用意しましょう。これがないと、なんのための実施例かわかりません。

次に、どの程度、どのように本発明が優れているのか理解できるように基準となる実験例(比較例)を用意しましょう。比較例は、本発明の範囲には含まれません。また、比較例をどのような条件とすべきか悩むこともあるかと思います。正直なところ案件によって変わりますが、一般論としては、本発明に近い従来技術の実験例を比較例として記載すると、従来技術からどの程度効果が向上したのか理解しやすく、特許性を主張しやすくなります。

発明に含まれる実験例は多い方が良い

こちら一般論ですが、実験例(実施例)は多い方が好ましいです。様々な条件の実施例を用意することにより、請求項に記載された発明の範囲を幅広く埋めることができます。結果として、サポート要件・実施可能要件による拒絶理由が通知されにくくなります。また、審査において新規性・進歩性を主張する際に請求項の発明の範囲を減縮することが多々ありますが、この場合に減縮後に発明の範囲内にある実施例がなくなるということも防止できます。

ですので、とりあえず多くの実験例を準備しましょう。とはいえ、発明者の本分は、研究・開発だと思いますので、本業を邪魔しない程度にしてください。

明細書作成時に実施例を吟味する

実施例を沢山集めたとしても、開示すべき条件、開示しなくてもよい条件があります。また、企業秘密として開示したくない条件もあるはずです。さらには、実施例の実験条件がうまく揃っていなくてうまく利用できない実施例もあるでしょう。これらの実施例をうまく組み合わせて、うまく発明を引き立てることができるようにロジックを組む必要があります。

どのように実施例を組み立てるかはコツが必要です。慣れてくれば出願人でもある程度できますが、不慣れな場合には弁理士に任せてしまいましょう。

出願依頼の打ち合わせ時に弁理士に提示しましょう

集めた実験例(実施例)は、出願依頼の打ち合わせ時に弁理士に提示しましょう。どの実施例をどのように利用すべきか検討してくれます。

実施例を起点として発明を検討してくれる

弁理士は、貴社の出した発明のアイデアをそのまま鵜呑みにして書類をつくることはありません。貴社のアイデアに加え、現実の実施例、予定する事業の状況を検討し、これに基づいてヒアリングを行っていきます。そして、どのような角度から発明を捉えると貴社にとって有利かを検討してくれます。

弁理士は、職業上守秘義務を有しています。したがって、出願依頼の際にはとにかく情報を提示するのが吉といえます。ただし、出願において開示したくない情報については、その旨伝えたほうがよいでしょう。

実施例が十分か確認してくれる

弁理士は、提示された実施例を検討し、実施例の数、条件が十分か、検討してくれます。また、場合によっては開示しないほうがよい実施例についても提案することでしょう。

足りない実験例は補充しましょう

足りないといわれた実施例については、可能な範囲で補充しましょう。ただし、本業が著しく制限されるような労力を費やす必要はないかと思います。

打ち合わせ前に提示しておくと、打ち合わせで弁理士と十分にディスカッションできる

こちら、お願いしておきたいところです。打ち合わせ直前、また打ち合わせ時に初めて情報を提示すると、弁理士は検討する余裕がありません。その場で答えられる程度しか貴社に伝えることができません。可能であれば、打ち合わせ1週間前には弁理士に情報を渡しておきましょう。弁理士は十分に事前検討を行いますから、打ち合わせで十分なディスカッションが可能となります。

実施例をどのように記載するか

最後に明細書中にどのように記載するかについて説明します。

追試できる程度に詳しく記載する

まず、実施例は追試できる程度に詳しく記載する必要があります。出願書類を見た第三者が追試できないと実施例の実験結果が本当かどうかわかりません。この点学術論文と一緒ですね。

次に、どの程度詳しくなのですが、目安として「4大卒の方」が理解できる程度に詳細に記載することをお勧めします。これは、審査を行う審査官が4大卒であることが多いこと、必ずしも現在実験をバリバリやっている現役の研究者でないことが主な理由です。実際の現役の研究者・開発者目線ですと、より簡潔な記載でも十分かと思うかもしれません。しかしながら、審査官のこと、また出願書類を読む第三者のことを考慮して、少し諄いかと思われるくらい詳細に記載することをお勧めします。

実施例と比較例は明示する

実験例を記載するにあたって、発明に該当する実施例と、発明に該当しない比較例とを明示しましょう。これにより、第三者がどれが発明でどれが発明でないか一見してみることが可能になります。出願書類に適切に情報を記載すれば自動的に特許になるわけではありません。やはり、出願書類をどれだけ分かり易く記載するかも大変重要です。

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